新年あけましておめでとうございます。
久しぶりにアドラーについて、書きたいと思います。
今回は「幸せになる勇気」岸見一郎・古賀史健(著)について書いていきます。
前回も書いたと思いますが、アドラー心理学ではすべての悩みは「対人関係の悩み」であると考えています。
わたしが、アドラー心理学に惹かれる原因がこの考え方にあるように思います。自分自身の人生を振り返った時、「対人関係の悩み」が、すべてであったように思います。
人との付き合い方が、上手いか下手かで人生は大きく変わっていくと思いますし、人間関係がうまくいなかった為に現在は友人もいませんし、結婚することもありませんでした。この本に書かれている事が、ある人にとっては真理であると考えます。
できるだけ多くの若い人達に、読んでもらいたい本です。
アドラーは、ひとりの個人が社会で生きてくいにあたって、直面せざるをえない課題を「人生のタスク」と呼んでいたそうです 。
・ 仕事のタスク
・ 交友のタスク
・ 愛のタスク
ここで重要なポイントは、それが対人関係の課題であるということで、
・ 仕事の人間関係
・ 交友の人間関係
・ 愛の人間関係
という言葉で考えたほうが、わかりやすいかもしれません。「行為」ではなく「関係」に注目するということです。それではなぜ、アドラーは、人間関係に注目するのか?アドラーによる「苦悩」の定義、すなわち「すべての悩みは、対人関係の悩み」であるという言葉が前提にあるからでしょう。
社会の誕生、すなわちそれは、「苦悩」の誕生です。社会の中で我々は、衝突、競争、嫉妬、孤独さらには劣等感など、様々な苦悩にさらされます。「わたし」と「あの人」との間に、不協和音が鳴り響く。騒々しい人間社会に生きるしかないのです。
他者が存在しなければ、悩みも存在しない。しかし、他者から逃れることなど絶対にできない。つまり、人間の抱えるすべての悩みは、「対人関係の悩み」である。
それでは、その他者との関係を断ち切ってしまえばいいのか?他者を遠ざけ、自室に引きこもっていればいいのか?
まさに、私がしてきた行動は、この行動そのもの他者との関係を遠ざけてしまったのです。悩みがない代わりに喜びもない、一生を送ることになってしまいました。
アドラーの語る「すべての悩みは、対人関係の悩みである」という言葉の背景には、すべての喜びもまた、人間関係の喜びである」という幸福の定義が隠されているのです。我々は「交友」の関係においてこそ、他者への貢献を試されます。「交友」に踏み出さない人は、共同体に居場所を見出すこともかなわないと言います。
・ なぜ「仕事」が、人生のタスクになるのか?
アドラーにとって、働くことの意味はシンプルでした。人間はなぜ働くのか?生存するためである。この厳しい自然を、生き抜くためである。人間はなぜ社会を形成するのか?働くためである。分業するためである。生きることと働くこと、そして社会を築くことは不可分であると言います。
・アドラー心理学の最終目的「共同体感覚」
アドラーが「共同体感覚」の概念を唱えるようになったいきさつ。
自らの心理学を「個人心理学」となずけたのは、第一次世界大戦が勃発する前年にあたる1913年のことでした。「すべての戦争を終われせるための戦争」としてはじまった第一次世界大戦は、非戦闘員までき込んだ未曾有の総力戦として、欧州全土に甚大な被害をもたらしました。「当然、この悲劇はアドラーをはじめとした心理学者たちにも大きな影響を与えました。
たとえば、フロイトは、この大戦を経て「タナトス」や「デストルドー」と呼ばれる「死の欲動」を提唱するようになります。これは様々な解釈のある概念ですが、さしあたって「生命に対する破壊衝動」のようなものだと書かれています。
人間は戦争を、殺人や暴力を希求する存在なのか?そんなはずはない。人間誰しも持っているはずの、他者を仲間だと見なす意識、つまり共同体感覚を育てていけば、争いを防ぐことはできる。そして我々には、それを成し遂げるだけの力があるのだ。・・・・・アドラーは、人間を信じたのです。
・ 愛する人生を選べ
今までの人生で「愛」について真剣に考えたことがあるでしょうか?本当の意味で人を愛したことがあるでしょうか?「愛」を語ることは、恥ずかしいことでしょうか?
アドラーはこんな風に語っていたそうです。「愛」とは、一部の心理学者たちが考えているような、純粋かつ自然発生的なものでもない。我々は、「愛に落ちる」のではない、ということです。
築きあげるものです。「落ちる」だけの愛なら、誰にでもできます。そんなものは、人生のタスクと呼ぶに値しない。意志の力によって、なにもないところから築きあげるものだからこそ、愛のタスクは困難なのだそうそうです。そして我々は、神でも動物でもない、「人間の愛」を考えなければならないそうです。
我々は、恋愛についても誤解しているのかもしれません。我々は、ガラスの靴を履いたシンデレラが、王子と結ばれるまでの物語に注目している。一方でアドラーは、映画のエンドロールが終わった後、ふたりが結ばれた後の「関係」に注目しているそうです。
愛とは「二人で成し遂げる課題」である。「二人で何を成し遂げるのか」それは、「幸福なる生を成し遂げるのです。」我々は皆、幸せになることを願っている。より幸福な生を求めて生きている。そして幸福になるためには、対人関係のなかに踏み出さなければならない。人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである。そして人間の幸福もまた、すべて人間関係の幸福である。
・ 幸福について
幸福についてアドラーの結論は、「幸福とは、貢献感である。」と言います。我々は皆、「私は誰かの役にたっている」と思えたときだけ、自らの価値を実感することができるのだと。自らの価値を実感し、「ここにいてもいいんだ」という所属感を得ることができるのだと。しかし一方、我々は自分の行いが本当に役立っているかについて、知iるすべを持っていません。たとえ目の前に喜んでくれる人がいたとしても、それが「本当に」喜んでいるのかは、原理的にわかりえないわけです。そこで浮かびあがるのが、貢献感という言葉です「わたしは誰かの役に立っているという主観的な感覚があれば、すなわち貢献感があれば、それでいい。それ以上の根拠を求める必要はない。貢献感のなかに、幸せをみいだそう。貢献感の中に、喜びを見出そうと言います。
この『嫌われる勇気』と『幸せになる勇気』は、難しい専門用語が出てこないとても読みやすい本なので、是非、新年を迎えるにあたって読んでいただきたいです。
みなさまの一年が良い年でありますように。
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