みなさんは、アルフレッド・アドラーをしっていますか?最近では、日本でもよく知られるようになってきたようですが、その中でも、とりわけ有名な「嫌われる勇気」について紹介します。
・トラウマは存在しない
・過去に支配されない(人は感情にも支配されない)
・すべての悩みは対人関係の悩みである
・対人関係のゴールは「共同体感覚」
「原因論」と「目的論」の違い。
多くの人は、「原因」があって、今の自分があると考えますが、アドラーは「目的」があって今の自分があると考えます。
「原因論」とは、かたちを変えた「決定論」であり、過去の「原因」を理由にしてしまうと、「決定」された人生をいきることになり、まさに人生に夢も希望もなくたってしまうからです。
例えば、過去に失敗したから今回も失敗すると考えるネガティブな思考です。
逆に、「目的論」の立場に立った場合、問題は「なにがあったか」ではなく、「どう解釈したか」これまでの人生になにがあったとしても、今後の人生をどう生きるかについてなんの影響もないと考えると元気がでませんか?
「課題の分離」とはなにか、アドラーはおよそあらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと―あるいは、自分の課題に土足で踏み込まれることによって引き起こされると考えます。
では、誰の課題かを見分ける方法は何かといったら、「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるの誰か?」ということです。例えば、子供が「勉強しない」という選択をしたとき、その決断によてもたらされる結末―たとえば授業についていけなくる。希望の学校にはいれなくなる―を最終的に引き受けなければならないのは、親でありません。間違いなく子供です。すなわち勉強とは、子どもの課題なのだと考えます。
注意が必要ですが、これは放任主義とは違います。
アドラーは「人の悩みは、すべて対人関係の悩みである」とまで断言しています。
ここはとても面白い考え方です。人の悩みの中には、「孤独感」「劣等感」というものがありますが、孤独を感じるのはあなたがひとりだからではなく、あなたを取り巻く他者、社会、共同体があり、そこから疎外されていると実感するからこそ、孤独なのです。われわれは孤独を感じるのにも他者を必要としていると言います。なお、アドラーは「課題の分離」は対人関係の出発点だとかんがえますが、では対人関係のゴールはどこにるかいうと、それが「共同体感覚」であると言います。
「共同体感覚」とは何かというと、他者のことを、「敵」とみなすか、あるいは「仲間」と見なすのかということです。
他者を仲間だと見なし、そこに「自分の居場所があると感じられることを共同体感覚といいます。
対人関係のゴールとゆうように、これはなかなか難しい考え方だと私は思います。とかくこの世は、競争社会であり、人を羨んだりして、なかなか他者のことを「仲間」として認識することは普段の生活の中ではないことだと思います。「敵」とまでは思わなくても、競争相手ぐらいには考えているのではないでしょうか?だからこそアドラーの思想を取り入れていく価値があるのではないかと考えます。すぐには、呑み込めない考え方が多いですが、このアドラーの考え方を取り入れると大げさに言うと「人生が変わる」かもしれません。アドラー心理学については、もっと深堀したいところですが、今日はここまでにしたいと思います。
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